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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)10974号 判決 1989年8月28日

主文

一  本件訴を却下する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が昭和五九年四月一日付で発行した月刊誌「文藝春秋」一九八四年四月号の三九六頁ないし四〇六頁に掲載された訴外北岡和義執筆にかかる「もう一つのロス殺人事件」と題する記事に関し、原告の被告に対する名誉毀損による損害賠償債務の存在しないことを確認する。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  被告の本案前の答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、書籍雑誌等の編集、出版、販売を目的とする株式会社である。

2  被告は、日本国民であり、肩書地に住所を有する者である。

3  原告は、月刊誌「文藝春秋」一九八四年四月号(昭和五九年四月一日発行、以下「本件雑誌」という。)の三九六頁ないし四〇六頁に、訴外北岡和義執筆にかかる「もう一つのロス殺人事件」と題する記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。本件記事は、一九七九年九月二四日ロスアンジェルス市郊外のモントレーパーク市で日系人女性(当時二三歳、被告の妻)が殺害され、犯人が逮捕されていない事件を題材として、アメリカ合衆国、特にカリフォルニア州の日系人社会における問題を指摘したものである。

4  被告は、本件記事が被告を右殺人事件の犯人と名指する等して被告の名誉を毀損する記事である旨主張し、原告に対し、カリフォルニア州ロスアンジェルス郡地方裁判所に名誉毀損による損害賠償請求等の訴訟を提起した。しかし、本件記事は、被告を犯人と名指するものではなく、その他被告の名誉を毀損するような内容の記事ではない。

5  よって、原告は、被告に対する名誉毀損による損害賠償債務の存在しないことの確認を求める。

二  管轄及び二重起訴の当否に関する原告の主張

1  管轄について

本件訴訟については、以下のように、日本の裁判所が管轄権を有する。

本件のように損害賠償債務を含む不法行為債務についての国際裁判管轄権は、不法行為地にあるというべきであり、不法行為地には加害行為地を含むものである。そして、出版物による名誉毀損における加害行為地は、名誉毀損の内容を構成する出版物の編集出版行為が行われた土地を意味するというべきところ、本件雑誌は、日本国内で編集・出版されているから、加害行為地即ち不法行為地は日本である。したがって、本件については民事訴訟法一五条一項により、日本の裁判所が管轄権を有する。

2  二重起訴について

民事訴訟法二三一条にいう裁判所は、日本の裁判所を意味し、外国の裁判所を含むものではないから、アメリカ合衆国の裁判所において不法行為に基づく損害賠償請求訴訟が係属中に、右訴訟の被告が原告となって日本の裁判所に同一の不法行為に基づく損害賠償債務の不存在確認訴訟を提起しても同条の二重起訴には当たらない。

三  被告の本案前の主張

1  本件については、以下のいずれの点からも日本の裁判所に管轄権は認められない。

(一) 被告は、肩書地に住所を有し、民事訴訟法二条二項の居所もアメリカ合衆国である。したがって、当事者の公平のため被告の普通裁判籍所在地の裁判所をもって管轄裁判所と定めた民事訴訟法一条の趣旨に基づけば、本件に対する裁判管轄権は被告の住所地を管轄するアメリカ合衆国カリフォルニア州にある。

(二) 本件は、名誉毀損という不法行為に基づく損害賠償債務の不存在確認訴訟であり、民法四八四条によれば不法行為に基づく債権の義務履行地は債権者の現時の住所であるから、この点においても本件の裁判管轄権は被告の住所地であるアメリカ合衆国カリフォルニア州にある。

(三) 被告が主張する原告の本件不法行為は、本件記事を掲載した本件雑誌をアメリカ合衆国特にカリフォルニア州で販売したことによって被告の名誉が害されたことであって、原告がこれを日本国内で編集出版したことは何ら不法行為として問題にしていないから、本件における加害行為地は日本ではなく、アメリカ合衆国、特にカリフォルニア州である。したがって、不法行為地は日本ではないから、民事訴訟法一五条一項によっても日本に管轄権が認められない。

2  本件訴訟は、民事訴訟法二三一条の二重起訴の禁止に抵触する。

被告は、カリフォルニア州ロスアンジェルス郡地方裁判所に本件原告を相手方として本件記事による名誉毀損を理由として損害賠償請求訴訟を提起し、右訴訟は同裁判所に係属している。民事訴訟法二三一条は、裁判所及び当事者の時間、労力及び費用の浪費を避けるとともに、判決の矛盾抵触を防止する趣旨の規定である。本件のようにアメリカの裁判所で同一の内容の不法行為の存否を争点とする訴訟が提起されている場合であっても、当事者特に二重に訴訟遂行を強いられる被告は時間、労力及び費用を不当に浪費させられるばかりでなく、アメリカ合衆国の裁判所と日本の裁判所の判決の矛盾抵触を生ずる虞れもあるから、本条の適用ないし類推適用により、本件訴は不適法というべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一  本件は、原告がアメリカ合衆国カリフォルニア州で販売した本件雑誌に被告をその妻を殺害した犯人と名指しする記事を掲載したなどとして、同州に居住する被告の主張する名誉毀損を理由とする損害賠償債務について、原告がその不存在確認を求める訴訟であるが、まず、我国の裁判所が本件につき裁判管轄権を有するかどうかが問題となるので、この点について判断する。

二  本件のように、外国に居住する日本人を被告とする民事訴訟の国際裁判管轄権については、我国の民事訴訟法上成文の規定はなく、根拠とすべき条約もなく、一般に承認された明確な国際法上の原則も確立されていない。そこで、このような場合には我国の裁判所に裁判管轄権があるかどうかは、当事者間の公平、裁判の適正、迅速を期することを理念として条理に従って決定するのが相当である。これを具体的にみれば、我国民事訴訟法の国内の土地管轄に関する規定は、それ自体国際裁判管轄について定めたものではないが、管轄の場所的分配として合理性を有するものであるから、これらのいずれかによって管轄権が我国に認められるときには、更に国際的観点から配慮して右の条理に反する結果になるなど特段の事情の認められない限り、我国に裁判管轄権を認めるのが相当である。

三  そこで、更に進んで本件訴訟の裁判管轄権について検討する。

1  被告の住所及び居所が日本ではなくアメリカ合衆国カリフォルニア州にあることは弁論の全趣旨により明らかである。したがって、民事訴訟法二条に準拠して我国に裁判管轄権を認めることはできない。

2  次に、義務履行地について考えると、不法行為に基づく損害賠償請求権の義務履行地は、民法四八四条によれば債権者の所在地とされているので、本件における民事訴訟法五条の義務履行地は被告の所在地であるアメリカ合衆国であるというべきであるから、義務履行地を基準として我国に裁判管轄権を認めることはできない。

3  不法行為地の管轄について検討すると、<証拠>によれば、被告は、昭和五九年九月七日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロスアンジェルス郡上級裁判所に、本件記事について出版社の原告と執筆者の訴外北岡和義を相手方として、文書誹毀及びプライバシーの侵害に基づく損害賠償を求める訴を提起し、現在も審理が継続中であること、右訴において、被告は、原告がアメリカ合衆国特にカリフォルニア州において被告をその妻を殺害した犯人と名指しする等の本件記事を掲載した本件雑誌を販売し、それが同州ロスアンジェルス或いはその他の日本人コミュニティ(日系人社会)で読まれたことによって被告の名誉が害された旨主張しているに止まり、原告が日本国内において本件雑誌を編集出版したことそれ自体は不法行為として主張していないことが認められる。そして本訴においても被告は右と同一の主張をしているところである。そうすると、民事訴訟法一五条一項の「不法行為のありたる地」とは、結果(損害)の発生地のみならず、原因行為のあった地でもよいことは原告主張のとおりであるが、本件においては、被告が主張するところの、原告が本件雑誌を被告の居住するカリフォルニア州で販売し、被告の名誉を毀損したことが不法行為であって、右雑誌を日本国内で編集及び出版したことは本件不法行為の内容を成していないといわなければならない。したがって、本件の不法行為地はアメリカ合衆国カリフォルニア州であるから、民事訴訟法一五条一項に準拠して我国に裁判管轄権を認めることはできない。

4  他に我国に裁判管轄権ありと認めるに足りる事由は窺えない。

四  よって、その余の点につき判断するまでもなく、本訴は、我国の裁判所に裁判管轄権がなく訴訟要件を欠き不適法であるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大喜多啓光 裁判官 小澤一郎 裁判官 相澤眞木)

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